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 ありえない話しだが全く同じ資質の人がふたり。でも人生はほんの少しのアヤで変わる。数年のちに生まれただけで、たまたま時代がかわり、変わってしまうのが人生だろう。好景気で仕事があった時代に生まれればよし?か、それはたまたまなのだ。


  東北にたまたま住む友人とボクは誕生日が同じである。それでなんとなくわかり合える気が学生時代していた。そしてふたりとも偶然おおきな地震にあってもた。ボクのマンションのように、マンションの扉が菱形に変形したそうだ。千年に一度とか百年に一度とか言うが、たまたまがよくあるなぁ。ほんとに、たまたま?


  ボクには「全壊被災証明書」だけが残った。ビルが解体されておもった、自分のビルより古い隣のビルがしゃんと建っている。おかしいなぁと。そんなもんである、ボクのビルが安普請だったのだ。みる目がなかったんだなぁ、と。


  倒れそうなマンションになぜか集金人は来た。倒壊寸前のところに来て二次災害に遭いたくない人は、わざわざ内容証明を送りつけてきた人も居た。自分がトクすりゃいぃ、損しなければ。人とのつながりなんてそんなもん、絆ですなぁ。戦争に勝ちそうな方につく、これが人の本来の姿でしょう。絆なんてええ言葉ではないよ。


  要するに、相手は危ない、だから取れるうちにとっておこうだ。それがこの国のビジネスたる証なのだ、勝ち組とはこういう人たちをいうのだろう。あほらしいなぁ。相手に対する敬意すら持ち合わせていない。


  阪神の時よりも、今の時代はもっとそれがひどい。だけど、そんな輩は相手にせんことです。身内を大事にするのは当たり前だけれど、自社の人だけ助けてボランティアなんて言っていた阪神大震災の時代がありました。やらせておけばいい、当たり前のことをする目立ちたいだけの人に。被災した民は弱い民ではありません。たまたま被災しただけです。


  しゃかりきになって、頑張る必要もなし。いい結果がでることを信じて、自分が出来る範囲のことだけしておく。ボランティアは被災していない、だから結局のところわからない。わかりあおうなんてせんことですね。ボランティアをただで働いてくれる人足みたいに扱ったり、神戸のときもつまらん事が発端でけんか別 れしたひと人が居りましたわ。


  音楽はほんとええもんです。1995年のKOBEにも音楽がありました。今日は仙台からこられた方々の美しい歌声を聴かせていただき、涙がでました、ありがとう。みずしらずの人が、どこの馬の骨かもしれんボクに可憐な歌声を聴かせてくれる、これがほんらいのボランティアでしょ。すくなくともボクは感動したのだから。2012.3.10記。フォーレ/デュベンスキー編「夢のあとに 作品7の1」Seiji Ozawa指揮を聴きながら@KOBE

今年も子どもとともに歳時記2012年

「あれ、人はすること同じなんやなぁ」|2012.12.16
|「手を繋ぐことが出来ない」| 2012.10.27
「これで、いいのだ」|2012.9.22
「なんなん?おもしろそうやなぁ」|2012.8.26
|「それが続くわけじゃない」|2012.8.20
「夏になんで花火あがるんや」|2012.8.4
「真実を口にするのが憚られる」|2012.夏
「琵琶湖一周やぁ」|2012.夏
「仙台のキーパーすごいなぁ」|2012.7.7
「素敵な写 真だねぇ」2012.6.29
「フンガフガ」と潮干狩り|2012.6.大潮
「さぁ、さぁ」御影だんじり祭り| 2012.5.4
「あぁあの桜」今年最期のお花み気分
| 2012.4.7
「その日のまえに」永遠などないのだ|2012.3.11
「歌声の聴ける町」透明感ある社会がえぇ|2012.3.10
「本物」騙しは人の魂をうばう@那智黒|2012.3.5
「紀勢本線に乗ろ」和歌山が好きだ|2012.3.4
「春ょこい」今年こそお花見|2012.3.3
「またきてね」宮城気仙沼を応援するぞ|2012.2.11
「力を合わせ龍を呼ぶ」春節|2012.1.23
「奏でる未来」Ruri音楽仲間|2012.1.22
「一心合力」陸前高田から|1.17KOBE
「とりも生きてる」とりぱん親子|2012.1.4
新年、闇が取り除かれた2012年春。
「あの闇夜はもう明けた」新春|2012.1.1

子どもとともに歳時記2011年

子どもとともに良き日に。
歳時記リスト2010

歳時記リスト2009

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2013年8月16日 変更いっこんぞめ
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