この絵はがきが全てのはじまりでした





テレビ朝日「あなたに逢いたい!」で
クリスマスの天使の男の子をさがしてくれることに
 





地井武男さんみずから手配りで人捜しのビラをJR三ノ宮駅前でまいてくださり、色々と手を尽くしてくださったのですが・・


子供たちから「ばあば、ご本よんで」と慕われていた、 在りし日の阿部さん
 
 


 

 地震の後、全壊した自分の広告写 真制作事務所を整理しながら、よこ目でボランティアの人たちの活躍を観ていて、ようやるなあでも自分にはボランティアなんて出来へんと思うてました。


  それが日が経つにつれて、自分だけがよけりゃあいいのかと言う気分になってきました。私と同じように一人でこの地震と立ち向かっていかなあかん人間がおるはずや。それで、自分ができる範囲でのボランティアを考えていたら、地震前の美しかった神戸の写 真がでてきて、変になつかしく切なくなって、それでできあがったのが「KOBEボランティア絵はがき」です。


  特に話題にもなった「イブの天使」の男の子の写真を見つけたときは「あ、これが元気な神戸の姿を私が撮った最後の作品なんや」と。その写 真は震災前1994年クリスマスの時、神戸そごう百貨店のクリスマスショウウィンドウのたくさんのサンタクロースに男の子が話しかけていたのです。


「どうしてサンタさんたくさんおるの」「ねえ、あのきいろいはこはぼくのたのんだプレゼントだよね」とつぶやきながら。男の子は1時間以上そうしてのぞき込んでいるのです。待ち合わせでしょうか。ちかくには20才前後のお母さんにしては若いきれいな女性が見守っていました。このショウウインドウを作った人が見ればどんなに感激することでしょう。夢を与える仕事としてもの創りに携われる人は幸せです。


  この時期廃業を真剣に考えていた私にとって、もう一度神戸でやり直そう、と勇気づけてくれたのもこの写 真だったのです。 その直後自分たちができるボランティアをと言うことでポストカードを使って販売したお金を寄付すれば・・と言う考えが浮かび、この男の子の写 真も使って「KOBEボランティア絵はがき」を創りました。私の仕事のひとつは情報を伝達する手段を創ったりすることですから、お手のものです。私の仕事仲間のデザイナー・アイディさんやイラストレーターの会社・大阪ビーンズさんのみなさんが協力してくれました。


「第1集KOBEボランティア絵はがき」で一番人気があったのが、このクリスマスのショウウィンドウを見つめるこの男の子でした。「第2集KOBEボランティア絵はがき」を制作した直後の1995年12月24日イブの日に毎日新聞、神戸新聞でこの男の子が記事として取り上げられ、反響を呼びました。てがかり情報も集まりました。震災以来はじめてワクワクする情報でした。が、全て人違いでした。しかし、その効果 でたくさんの方に協力いただきました。


  その後も男の子は、各テレビ局のニュース番組で取り上げられたり、日本テレビ『ズームイン朝』で私が出演して呼びかけたり、テレビ朝日『ニュースステーション』や『あなたに会いたい』で捜してくださったのですが、結局のところ手がかりすらありませんでした。 探偵事務所の方にも捜してもらったのですが、みつかりません。兵庫下のすべての幼稚園・小学校で聞き込み調査してもらったのですが、該当者はいませんでした。


 あの子はきっとぼくのおなさい日を映し出したかげろう、いやきっと1994年震災前のクリスマスに舞い降りた天使だったんでしょう。


  震災のあった1995年1月17日の、ある母子寮でのお話をここでさせてください。その母子寮のお母さんと慕われた66歳の寮母さん阿部久子さんは、地震で崩れ落ちた全壊の寮のなかで、余震におびえながら子供たちの手を握りがれきの隙間から子供たちを避難させました。たくさんの子供たちが助かったと関係者の方からお聞きしました。「未来ある子どもたちの命、ひとりでもおおく」阿部さんはそういう人だったと。


  しかし阿部さんは手に電話の受話器を持ったまま地震後7時間たって遺体でみつかつたのです。自分は警察に連絡しようと宿直室に戻り、必死で自分の仕事をまっとうしようとした姿。自分の命を捧げても、大切な仕事をまっとうしようとした姿。逃げ出せばいいじゃん、と思う人もいるでしょう。しかし、自分に出来る与えられた仕事をまっとうしようという人もいたのです。あの地震の時ですら。私には関係ないと逃げ出すなんてことは、あの大震災の時の神戸や淡路島の人たちの心の中には無かった。


  こうした事実を知って、この神戸ボランティア絵はがきに協力していただいた、みなさんから預かったお金を寄付しても怒られはしないだろう、そう思いました。母子寮というものは公の機関が運営をしているものだと当時私は考えていました。しかし、違うのですね。確かに県立、市立の母子寮もあるのですが、地域によっては私財で運営されている所も多いと知りました。この母子寮もそんなひとつです。第1集では私の友人知人に協力していただき32万円とすこしを寄付しました。  


  第2集は震災前の神戸を私が撮影した写真の生き残りです。全壊の中から取り出した写 真たちです。北海道や東京、大阪、岡山などで小売り販売も各地でしていただけました。本当にたくさんの方々のご協力があって103万円を神戸母子寮さんに1997年12月25日寄付しました。日頃どうしょうもない人間でもクリスマスくらいはまともな感覚の人間になりたいとの希望からです。ディケンズの「クリスマスキャロル」のスクルージのようですが。震災後、あの時協力しあった神戸のみんなの姿をもう一度思い出して欲しいのです。


 最後にボランティアで参加してくださった大阪、奈良、東京のグラフィックデザイナー、イラストレーターの皆さんありがとう。 1999年6月25日拝
 







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1999年
©Mac Fukuda