阿部久子さん(享年66才)

 全壊した神戸市兵庫区にあった「神戸母子寮」には17家族37人が暮らしていた。19995年1月17日の阪神淡路大震災で母と子供5人が崩れ落ちた寮の下敷きになり亡くなった。そのひとりに神戸母子寮で寮母をしていた阿部久子さんがいた。

 崩れ落ちた寮で阿部さんの声が響いたそうだ「みんな、逃げて」と。阿部さんの声を頼りにがれきのすき間から子供の手を引き逃げだした母。そして30人はがれきのすき間からはい出した。7時間後、手にしっかりと電話の受話器を握りしめたままの阿部さんが遺体で見つかったそうだ。阿部さんは東京生まれ、第二次世界大戦で関西に疎開し、神戸に移り住んだと言う。数年前に夫と死別 し、子供のいない阿部さんはことのほか寮の子供たちを愛したと言う。

  「ばあば、ご本読んで」と幼児が彼女の顔を見つけてはすがりついたとか。

  母親には彼女は「あんただけじゃないの。ここにいるみんなが悩んでいるの。だから、みんなで支え合うのよ」そう言って励ました。
  そんなみんなにとってかけがえのない阿部さんはもういない。1995年1月17日阪神淡路大震災にて事故死。

心からご冥福をお祈りいたします

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