もしかすると鈴鹿は桜の
たくさん咲く町だったのかも

三重鈴鹿市の石薬師蒲桜

 私の尊敬する亀井勝一郎さんは「明確に断言する、決断する。そう言うときふと自分の足下に奈落を感じる」と書いている。私はこの桜のホームページで、桜について自分の思ったことを述べているが、いつも間違いではないかとドキドキして、また調べてみる。その中には一般 的にはこうだ、という意見とは違うものも有るかもしれない。日本三古泉のところでも述べたが、大手雑誌社のなかには「自分の所が、日本三古泉が草津、有馬、道後と書けば、それが日本三古泉に成る」と言い張る人もいれば、神戸市の職員のように「この本に『日本三古泉が草津、有馬、道後』と書いてあるから、君の言う『日本三古泉が南紀白浜、有馬、道後』は間違いなのだ」と言い張る人もいる。それが大手を振って世の中を闊歩する。権力や金の力によって、ねじ曲げられる情報も有る。情報とはかように危ないものでも有ります。その事を若い人には知ってもらいたい。情報にはその情報を書く人の信念や思い違いが入り込む。バイアスがかかる。

  そんなこと知っているよ、と言われるかも知れませんが、本当に気をつけてください。雑誌に書いてあるピザの美味いお店、そんなものその記事を書いた記者が本当に食べていることなんてまれで、ただ記事をうめるために書いている。また提灯記事であったり。「それを真に受けること自体、バカなやつ」と編集者は腹の底では笑っている。確かにそのピザが美味いかどうかは、個々人の主観でしかない。イタリア人が食べれば「これぞ本場のピザ」と言うかもしれないし、うす味の関西人にとっては味が濃くて判断できないしろものかもしれない。だいたい味の濃い東京の方が食べて美味しいものと、うす味の関西人の食べて美味しいものとは基本的に違うような気が私にはする。もっと悪質なのはお金を店からもらい「美味しい」と情報を流しているたぐいのモノ。特に金がからむ情報には気を付けたほうがよい。アテにならないモノばかり。

  その点、桜も特に樹齢やその経歴などもあまりアテにはならないと思ったりもするが、嫌な気分になるものではない。推定樹齢は、書物によってもまちまちだし、第一人間の寿命より木の方が長いのだから仕方ない。品種にしても高遠の桜のように「コヒガンザクラ」と言われているが、いや高遠だけの「タカトウコヒガンザクラ」とも言われている。「コヒガンザクラ」の一種であることには間違いないのだが。

 ここ三重の鈴鹿の「蒲桜・かばざくら」もよくわからない桜のようだ。花は一重で花びらが大きなまっ白の桜の花なのだが、品種はわからない。同じように蒲桜と名前がつく桜が埼玉 県北本市にある。「石戸蒲桜」と呼ぶ有名な桜で源頼朝の弟である源範頼・蒲冠者のその名に由来する伝説から「蒲桜」と呼ばれている樹だ。この石薬師樺桜と同じような白いろの一重の花をつける。また、ここ鈴鹿には一年中花をつける不断桜のようなめずらしい桜もあるから、これも突然変異のような桜か・・などと思ってしまう。かように樹齢や品種などは学者によっても見解は違うだろう。それに○○が植えたと言う説や杖を差していたらそれが桜になった、などはフィクションだろう。でもそんな事実ももしかするとあるかもしれないと思わせる所がかわいい。本当はもっとすごい事実をその桜自身が長年の間に観ているかもしれない。自分の目でその姿を確かめ、そして空想することの方が愉しくて私は桜を毎年どこかに観に出かけるのだが。

*このページの製作年は1996年、データ内容は当時のものです*

 

撮影は1993年4月14日
場所
三重県鈴鹿市石薬師上野町
交通
JR関西本線河曲(かわの)駅下車約2キロ
問い合わせ先
鈴鹿市観光課0593-82-9020

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