散ればこそ さらに桜は いとしけれ



山梨県武川村の日本一のお爺さん山高神代桜

 

 幹の太さでは日本最大と言われる桜の巨樹。大和朝廷時代の日本武尊(やまとたけるのみこと)はその昔父・景行天皇の命を請け蝦夷(この時代は関東地方を蝦夷と呼んだ)を征伐。大和に帰る途中この地に立ちよって、この桜をうえたとされている。日本武尊は大和の國の勇敢な武将たちの逸話を彼の話としたものとも言われているが、なにせ大和朝廷・古墳時代の頃だから今から一千年以上前のはなし。日本という國の形もまだ整ってなかった頃の話なのだ。日本武尊がこの桜を植えた話が本当だと仮定すればこの木の樹齢は1700年以上にもなる。

 またこの桜は「妙法桜」と呼ばれている。この地を訪れた日蓮上人(1222-82年)が衰えはじめたこの木を見て、樹勢の回復を祈ったところ樹勢を取り戻したと言う逸話が残ることからこう呼ばれている。いずれにしても、日蓮の生きた鎌倉時代には、もうすでにこの桜の木は巨木として有名だったと言う事になる。鎌倉時代はきっと主幹も折れずに相当大きな木だったんだろうな。もとは地上3メートルほどのところから1本の主幹と4本の枝に別 れていたものが、風雪でやられ主幹や枝が折れてしまい、現在は東へ伸びる太い枝しか残っていない。しかし、それでもすごい。鎌倉時代の姿がなにかの形で残っていたらぜひ見たいものだ。

 東方へ伸びた枝は日本武尊の東方征伐の野望を現しているのか。見る人によっては、老人のようにしか見えない桜らしいが、私にはその太い幹と小さな可憐な桜の花が対照的で、私の好きな桜の巨木のひとつだ。空洞になってはいるがずっしりとした11メートルもある太い幹は圧巻で「まだ生きているのだ」と言う気迫に圧倒される。桜のお花見を期待し行くと、人によっては肩透かしにあうかもしれないが、この桜の生きてきた年月を垣間見ると、唸らずにはおれない。人生には色々なことがあるが、今までの千年以上もの間この桜はどんな花をつけ、そして咲き乱れる日日はあったのだろうか。いや、あったに違いないのだが、それはどんな光景だったのか。そんな思いを馳せさせる桜である。

*このページの製作年は1996年、データ内容は当時のものです*

 


遠くからながめる姿も美しい
武川村にはこの桜の他に万休院に「舞い鶴の松」と呼べれる名木がある。
アカマツの巨木で樹齢450年、枝周り74メートルの立派な松。
是非こちらの方も見ておきたい。

写 真は1996年4月12日撮影
品種は「シロヒガン ザクラ」
推定樹齢1700年の日本で一番の老木
花の色はほんのり薄い桜色、しかし開花につれて白くなる
1922(大正11)年に国の天然記念物に指定。

場所
 山梨県北巨摩郡武川村大字山高 実相寺
交通
 JR日野春駅からクルマで20分、
中央自動車道須玉ICからルート20などで約10キロ
問い合わ先
 武川村役場0551-26-2111

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