関西学院大学総部放送局創部60年の歩み〜26期からの手紙

 私たちは26期生です。

 のほほんと入局したら、夜遅くまで「総括」…白熱した議論の末、局を去る先輩もいらっしゃいました。学生運動は、TV・新聞で第3者として見ていた人が殆どだったと思うので、カルチャーショック!


 その頃はと言うと、音楽はブラコン・AOR全盛期、ファッションはブランド志向の始まりの頃です。 局室は、業食の向かいの元教職員食堂だったボロ〜い建物をエゴラドさんと半分こ。前庭付きだったので、発声練習に使っただけでなく、ワンバン野球や焚き火もしました。


  発声練習や個人練習は、日本庭園や中芝でしたよな〜 KGBと言えば「酒」。新歓コンパ毎に、救急車が来て、3年目には厳重注意。「イッキ、イッキ」って、今なら廃部も免れない。焼酎なんて流行ってなかったし、日本酒は2級酒だから悪酔いも数え切れず。


  同期の浮いたウワサが無かったのも、私たちくらいじゃないでしょうか。男女を越えて仲が良かったと思います。(ミリョクニカケル?) 極々平凡な私たちでしたが、54〜56歳になった今は、元女優さんの宮司や某有名プロダクションの社長、また一部上場企業のエライさんも結構居たりとバラエティに富む仲間たちです。
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only Japanese. 2011年8月13日 変更

©Mac Fukuda